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「ポカラの会」が初期の目的を終了し。新たに「新ポカラの会」に生まれ変わるのに伴い、現在ホームページも新しくしようと、太田さんが頑張って下さっています。ほぼ、完成したようですが。私の書き込みがまだ不慣れで、太田さんは足ふみ状態です。間もなく、新しくなりますからご期待下さい。
「ポカラの会」が初期の目的を終了し。新たに「新ポカラの会」に生まれ変わるのに伴い、現在ホームページも新しくしようと、太田さんが頑張って下さっています。ほぼ、完成したようですが。私の書き込みがまだ不慣れで、太田さんは足ふみ状態です。間もなく、新しくなりますからご期待下さい。
今朝ミサでアルー神父が悲しいニュースを知らせられ、その魂の平安のために祈りました。この前の爆弾で即死だった15歳の女の子のお母さんはずっと危篤状態でしたが、昨夜彼女も亡くなりました。奥さんと娘を亡くしたお父さんの心はどんなに辛いことでしょうか。お嬢さんはセントメリースクールの10年生だったのですが、心も清く勉強もよく出来る申し分のない生徒だったということです。両親の愛を浴びてどんなに豊かに育ってきたことでしょう。両親の期待もあったことでしょう。ミサの栄光の賛歌の終わりの「アーメン」を境にして逆転の結果となりました。まだまだ他にも危険な状態にある人々が病院にいます。どうぞお祈りください。
僅か9ヵ月で退陣に追いやられたマオイストのプラチャンダに代わって共和国第二代の首相になったのはUML(統一共産党)のMKネパール氏である。同じ党から女性の国防大臣バンダリ氏と財務大臣バンデ氏の入閣が決まったが首相は組閣に苦労しているらしい、NC(コングレス)のコイララは娘のスジャータを大臣にしろと圧力をかけているとか。マデシの政党も沢山の大臣の座を要求しているようであり新政府の誕生も難しい。しかし、政府ができても、最大の党であるマオイストと他に7つの小政党が野党となって政府との対決姿勢を強めている事を考えるとネパールの政府は嵐の海に漕ぎ出す小舟のようである。
大木神父の講演の予定
6/13(土)14時 チャリティーコンサートで挨拶 鎌倉 カトリック雪ノ下 教会
6/28(日)9時 ミサ、10時講話 場所:カトリック茅ヶ崎教会
今朝イエズス会の神父様方がカトマンズの会議から帰ってこられ、状況を話してくださいました。現場でなくなったセントメリーの15歳の少女は爆弾と接した場所に座っていたので身体の半分が吹っ飛んでしまっていたとの事。お母さんも今、意識がなく生死の分かれ目にあります。もう一人の20歳の女性は新婚旅行で夫と夫の姉妹たちと来ていました。夫も義妹たちも病院です。ラケス修士にはすぐビマラが電話しました。頭が何ともいえない痛さと答えていました。神父様たちが全員を見舞った時ラケス修士の顔は腫れ上がっていたと言われました。それでも軽い怪我だと言うことですからどんなにひどい爆破だったことかと想像できます。彼は新しい修道会を立ち上げた、まだ若くとても楽しい人です。彼の兄弟たちはまだ数人でしかありません。今後どうなっていくのか神にお任せする以外にはありません。危篤状態の人もまだ数人います。
新首相の初仕事はこの現場に行き、又病人を見舞うことから始まりました。やっと信仰が自由になったと喜んでいたら、ヒンズー過激派の攻撃を受ける新たなチャレンジです。キリスト教に改宗する人々が増えているために彼らも危機感を持っているのでしょう。どうぞお祈りください。
その後、新聞などで得た情報ではヒンズー過激派のナショナルディフェンスアーミーと名乗る犯行声明のチラシが現場に残っていた模様。10ヶ月前ネパール南東部ダランでカトリック神父を殺害した同じ組織のようです。
爆発物は女性が鞄に入れて教会に持ち込み、亡くなった女学生にトイレに行く間、預かってほしい と言って出て行ったそうです。 ブラザーもひとり大怪我で入院されました。
今,ポカラ在住の疋田さんからマチャプチャレの写真が届きました。少し曇っていて鮮明ではありませんが、雨期に入って岩に雪が付着して真っ白です。乾期(冬期)は余りにも寒く、粉雪が急斜面の岩にくっ付かないで風に吹き飛ばされて黒い岩肌が見えるのです。これが、良く晴れて朝日に照らされて赤く輝く姿を想像して下さい。
私のブログではミサ中の聖堂内での爆弾テロ事件のニュースの陰に隠れていましたが、この日ネパールの新聞のトップ記事は新首相の就任式だったようです。ネパールが共和国になって初の首相は毛派のプラチャンダでしたが僅か9ヵ月で退陣に追い込まれました。戦闘には勝っても政治的手腕はなかったようです。
第二代の首相は統一共産党(UML)のマダブ・クマール・ネパール氏で、ファミリーネームと国名が同じと云う珍しい例です。
これからの組閣が注目されますが、毛派と二つの小政党がこの政権を支持しないと宣言しています。マオイストを敵にしてなにができるのか?この新政権の寿命もそう長くはないと思われます。ネパールの人々は政府には何も期待していないのではないでしょうか?
あれほどの事件にも関わらず、昨日の朝は通常通り日曜日の英語によるミサがあり、午後3時からは 緊急の追悼集会がありました。いつもなら天窓からの光がとても明るいこの教会ですが、爆風で割れたガラスもそのままに、黒いシートで覆われ、少し暗い中、昨日のミサの時よりも、多くの人が集まりました。爆発物が置 かれていた床は教会のメンバーの手によってきれいに整理されていました。焼け焦げた絨毯がはがされた部分はコンクリートにまで亀裂がはいり、爆発の凄まじさと残していました。天井を見上げれば広い範囲に損傷が見られます。そんな中その場所に集まった人たちの勇気と篤い信仰心にこころ打たれました。
カトマンズに滞在中の松井幸夫さんからメールで知らせて来ました。目撃者の文章そのままが真に迫っています。
現地時間23日午前9時10分ころ、ドビガートの教会で爆弾事件がありました。ミサが始まって二曲目の聖歌を演奏中、聖堂のほぼ中央で突然爆発が起こり、天井の明り取りのガラスが降り、硝煙がたちこめ、大騒ぎになりました。爆発物が置かれていたあたりの座布団が燃え、すさまじい 爆風で衣服が破れ、自力で逃げられなかった4〜5人が倒れ、病院に運ばれました。そのうち1〜2人はシリアスな状態です。
ただちに警察官が駆けつけ、私たちは教会から追い出されました。私はその足でインターネットカフェに駆け込みメールしました。現在10時10分、ちょうど爆発が起こって一時間。私は何をしたらいいのかわかりません。とりあえず至急、大木神父にお伝えください。
その後、情報収集すべく、教会に戻りましたが、近所から集まった野次馬が一杯で、もちろん中に入れる筈もなく、爆発当時 教会の中に居たということでテレビのリポーターにインタビューされる始末。家に戻って見たテレビのニュースによると二人の方がお亡くなりになったようです。中央通路のすぐ左、ほぼ教会の中心地点で爆発が起こりました。そのとき私は左右に張り出した建物の左後ろ角あたりに座っており、爆破地点からは謂わば死角になっており、最初は何が起こったのか判断できないでいました。直接爆発の炎を見た人もかなりいた様子で、あちらこちらで悲鳴が起こり、ほとんどの人が建物の外に逃げ4人が倒れこんでいました。ひとりは顔の皮膚の色がかわるくらいおそらく火傷でしょう。懸命の呼びかけにもぐったりされていました。ひとりは爆風でとばされたのか 左の壁あたりで衣服もちぎれ、半裸状態で血まみれになり、ひとりは中央通路の反対側あたりで 倒れ、いまひとり耳を吹き飛ばされ呆然と座っていた女性。その人を病院に向かう車に乗せるまで私が抱えていなければいけなかったので、自力で逃げられた人の怪我の状況までは把握できませんでした。
テレビによると14〜5人ほどのけが人がでたもよう。多くが収容されているパタンホスピタルに行った人にとると10人ほどが入院しているようです。病院でなくなったのはお二人ともインドの方のようです。
ネパール政府の抱える難問の一つは国軍と人民解放軍(毛派軍)の合併問題で、私は軍隊を持たない憲法を作るのが良いと、連載(4)に書きました。結局この問題がもとで組閣後1年も保たず毛派の政府は潰れました。事の起こりは首相がカルワル陸軍参謀総長を解任した事から始りました。カルワリ参謀総長をはじめ王制時代の軍隊の幹部は国王に忠誠を誓ったエリートです。その国軍が毛派軍に破れて、和平交渉で国王の追放と毛派軍を国軍に編入させる約束だったのに、カルワリがそれを拒否し、制憲議会選挙で2位であった統一共産党UMLと3位のコングレスNCとが組んで首相の辞任に追い込んだのです。次の首相はまだ決まらず2週間以上も空白が続いています。毛派が野党になれば政局運営は更に厳しくなり政治的混乱は続く事でしょう。
大木神父の講演の日程は次の通りです。
5/09(土)15時 栄光学園 講演会 3階小視聴覚教室
5/10(日)10時 保土ヶ谷 ミサ司式 ケンズ神父
5/17(日)10時30分 鎌倉雪ノ下 ミサ司式 田代神父
5/24(日)10時 逗子 ミサ司式 合田様
5/31(日)09時30分 磯子 ミサ司式
11時 磯子 講演会
6/13(土)14時 鎌倉雪ノ下 チャリティーコンサート挨拶
6月の日曜日 第六地区各教会 ミサ司式
7月26日(日曜日)神戸のカトリック六甲教会で大木神父の講演会が行なわれます。
11:00〜12:00大木神父司式によるミサがあり、午後1:30〜3:00講演です。六甲教会は大阪教区で最大規模の教会です。カトリックに関係ない人でも皆さん歓迎します。
昨9日(土)、栄光祭で、午後3時から大木先生の講演会が開催されました。大木ファンが続々と集まり約100名になりました。
先生の淡々とした中にユーモア溢れるおはなしで、ネパールへ行った理由、30年も活動した理由、そして今回帰国した事情などをお話され、日本が貧しい時代に外国の宣教師の援助で日本の教会が発展したのだから、我々も発展途上のネパールの人々の為に教会を建てることを支援したい。これが私の人生の最後の仕事ですとおっしゃいました。
ダハル首相(毛派のプラチャンダ)はカルワル陸軍参謀総長解任をめぐる対立で遂に辞任に追い込まれた。もともとカルワル参謀総長はじめ王制時代の軍隊の幹部は国王に忠誠を尽くすエリートであった。プラチャンダ率いるマオイストとの内戦に敗れ、国王は王位を剥奪されて、共和国になった。その時、毛派の人民解放軍は国軍に編入される約束だったが、カルワルはそれを拒否した。 ところが制憲議会選挙で2位であった統一共産党(UML)と、3位だった会議派(NC)とが組んで毛派に逆らい遂に首相を辞任に追い込んだ。ゲリラ戦に強い毛派も政権担当能力には乏しく僅か8ヵ月で首相は退陣に追い込まれた。毛派が野党になれば政局運営は更に厳しいものになるに違いない。今後のネパールの平和は維持出来るだろうか?